2011 年3月24

 東日本大震災におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

【緊急提言】

「東日本大震災」からの復興への展望と提言

防災都市計画研究所 代表取締役 吉川忠寛


1)今回の被害の概要
(本文を一部抜粋)

 「東日本大震災」は、気象庁の観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震と10mを超す巨大な津波を伴って東日本一体を襲来した。まさに、戦後日本社会が経験したことのない「千年に一度」の巨大地震・津波にわれわれは直面している。


2)巨大津波と避難行動の実態
(本文を一部抜粋)

 実際の被災者の証言による津波の特徴は、それぞれ襲来時の場所によってとらえ方は様々であるが、その到達時間が約30分、最大津波高(水位)が約10m以上、浸水域が海岸から約10kmなどの証言がある。
 避難を完了できた人の多くは、早い時期に高台に向けて避難を開始した人々が助かっているようである。


3)釜石市の事例(高所移転の成果)
(本文を一部抜粋)

 釜石市では、世界一の津波防波堤を乗り越えて市街地に甚大な被害をもたらしたことが紹介されている一方で、1933年昭和三陸津波の後、村人が自ら所有する山腹の畑地を提供して実現した高所移転によって被害を免れた唐丹本郷の事例もある。時間の経過を経て、低地部に建設された建物が壊滅してしまったものの、高所移転集落は無事であった。
 以上より、巨大な津波防災施設を乗り越える巨大津波が来れば甚大な被害を免れ得ないこと、また、巨大津波も届かない安全な高台に高所移転をすれば被害抑止につながりうることが検証できたのではないでしょうか(もちろん津波防災施設の整備が必要なことは言うまでもありませんが)。


4)復旧・復興に関わる展望と提言 〜土地利用規制の必要性〜

 巨大地震・津波が発生して13日目である。まだまだ人命の捜索活動が続けられており、また、避難所運営においても医療救護所体制の遅れ、感染症の発生、高齢者や障害者等の衰弱、救援物資やボランティアの不足など様々な問題を抱えている。
 被災者の中には、今回の地震・津波の恐怖体験、家族を亡くした喪失感などからショックや抑うつなどの「急性悲哀」から、その後しばらくして、自分が生き残ったことに関する罪責感などが癒えず、「心的外傷後ストレス障害」(Post Traumatic Stress Disorder)に至る人が数多く出てくるものと推察される。
 それと同時に、ある程度落ち着きを取り戻した被災者の中には、生き残った者同志の相当な情緒的連帯や相互の助け合いも見られるであろう。
 この「利他的な感情や行動のほとばしり」1を原動力に、人命救助や避難所運営等を通じて、混沌の中から暫定的な共助の仕組みとしての「緊急社会システム」が形成され、その後、被災から自らの生活やまちを立て直す原動力につながりうることが過去の災害事例からも類推される。
 地域の復興まちづくりでは、こうした被災者の立ちあがろうとする主体性や共同性をうまく支えながら、全てを無くして心身ともに疲弊した被災者の生活再建を最重視しつつも、将来の地域社会像(人口減少社会における地域社会のあり方)を協働で描きながら、復興計画の策定やまちづくりの推進を図ることが重要と考える。換言すれば、地域社会の「復元=回復力」を大事に支援しながら、地域の「脆弱性」を改善することが求められる。
 そこで、地域復興の方向性でまず最初に考えるべきことは、被災地での再建を前提とする「現地復興」か、被災地外への移転を含めた「移転復興」かの大局的判断である。この判断は、被災者の生活(住宅)再建を大きく左右するため、丁寧な合意形成と迅速な方針決定が求められる。
 これには、地域の被災状況、防災指針を含む長期ビジョン・長期計画、地域住民の意向、基盤整備状況を含む地域社会の各種実態などを総合的に判断し、合意形成を図る必要があるが、今回の巨大地震・津波の場合、津波防災対策のあり方、とりわけ沿岸地域における土地利用規制をどう位置付けるかが、当初検討すべき重要テーマの一つと考える。
 津波防災対策は、「津波防災施設、津波防災の観点からのまちづくり、防災体制の3分野の対策を、地域特性に合わせ、有機的に組み合わせて総合的に推進すべき」を基本としつつも、釜石市の事例などから推測されるように、これまで以上に高所移転をはじめとする土地利用規制への関心(必要性の認識)が高まることが予想される。
  しかし、土地利用規制(高所移転)をめぐっては、過去の復興事例からも、合意形成の難しさや、時間経過に伴う津波危険区域への復帰あるいは新築を抑止することの難しさを経験してきた。したがって、今後、この検討にあたっては、地域社会が納得できる「適切な土地利用規制のあり方」を地域協働で議論できる「円滑な合意形成の進め方」を構築し、そのための復興財源と人材をしっかりと確保することが重要である。
 まず、「適切な土地利用規制のあり方」については、今後の被害想定や地域の人口集積、土地利用状況などから災害危険区域、あるいは防浪ビルや建物の耐浪化を進める「防浪地区」や津波の水量を吸収する「緩衝地区」などの規制内容のあり方を、地域特性に合わせてきめ細かく検討する必要がある。
 次に、「円滑な合意形成の進め方」については、土地利用規制をめぐる様々な住民の要望、たとえば、海浜近くを望む漁師の要望、長年住み続けた地域への愛着、従前コミュニティ維持の要望、移転への財政的支援の要望、移転先の利便性への要望、津波未経験者をはじめとする津波防災意識の継続などを、いかに津波防災計画の論理と折り合いをつけられるかが問われてくる。
 さらに、復興財源については、災害危険区域を指定した後の防災集団移転促進事業の補助率のかさ上げや要件の緩和などの事業予算の確保が必要であり、それに関わる人材確保については、できる限り現地住民による調整役を確保した上で、その方々を後方支援できるような防災都市計画に関わる専門家を確保し体制づくりを行うことが重要である。

 最後に、三陸地域には「津波てんでんこ」という言葉がある。これは、津波防災思想家の山下文男が自らの父親の経験をもとに名付けた言葉であり、「津波の時は、お互い、問わず語らずの了解のうえで、親でも子でも、てんでんばらばらに、1分、1秒でも素早く、しかも急いで早く逃げようということ」である2。これは、一見非情な言葉に聞こえるが、「親族や集落の根絶やしを防ぐ」という、まさに今回のような非情な災害体験から生み出された災害教訓なのである。
 今回の巨大津波でも、地震発生後、杖をつきながらも一人でひたすら避難した老人(災害時要援護者)が助かっている一方で、避難警告や避難誘導に奔走した消防団員や社会福祉施設職員など行方が分かっていない支援者も多い。つまり、「津波てんでんこ」は、全ての人が必死で避難しないと助からない巨大津波の怖さを表現したものであると同時に、全ての人が迅速に安全な場所まで避難できる社会の実現を目指した言葉ととることもできる。
  したがって、今後の土地利用規制の構想についても、高台に辿りつけない沿岸地区の建物(構造)の耐浪化や、自力で避難できない要援護者の施設の立地を規制するなど、全ての人が「てんでんばらばらに逃げれば助かる社会」を目指すべきである。


1 Barton, A.H.,1969, Communities in disaster : A sociological analysis of collective stress situations, Garden City, NewYork : Doubleday & Co. 安倍北夫(監訳)、災害の行動科学、学陽書房、1974
2 山下文男、『津波てんでんこ―近代日本の津波史』、新日本出版社 、2008 年1月.